ケントのブログ(ふわふわ)

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いいとこどりしちゃおう/宗教はツール

前回のづづきで宗教観についてです。

「良縁欲しけりゃ神社に行くな」説

僕の宗教観はと言うと、特別どれを信仰するとかはありません。これは典型的な日本人タイプではありますが、神道仏教に限らずイスラム教、キリスト教ユダヤ教の神(←実は共通の神)、その他の教えをおいしい所だけいただいちゃおうというタイプです。
日本人だけど教会へ行けばGodに挨拶するし、モスクへ行けばイスラム式にならって挨拶します。ひとのとこへ入って行って大事なものを踏んづけるようなことはしません。それはみんなきっとそうですよね。
長い歴史の中で、人が生活し洗練され確立された文化・宗教ですから学ぶことが多いと思います。
どの宗教も「悪いことをしなさい」だなんて経典に書くわけないでしょう。だれもが平和を願っているし、支持する人がいないと滅ぶでしょうからきっと変なことは書かれないでしょう。
事実でなかったり科学的な根拠は乏しい部分も確かにあるかもしれません、だからと言って知らなくてもよい理由になりません。それよりもそこから道徳的に何を得るのかです。それが知る理由です。 といいつつ僕はちゃんと経典や聖書を読んできたわけではないです。代表的な考え方とかは見る機会は多いのでそこで知るようにしています。

解釈の仕方や、人の利害によって対立することは実際起きていますが、各宗教色んなイイコトを言ってるのは確かなんです。そのおいしいところを頂いちゃおう!というのが僕のスタンスです。

閑話休題1:日本人の宗教アレルギー

オウム真理教の事件以来日本人は宗教アレルギーがありますよね。新興宗教にあやしい割合が多いのでそれに対する警戒心はあっていいと思いますが、古来からの宗教は色んな人が関わって発展させて人々に受け入れられてきたという経緯もあるので有用なことも多いですし、歴史・文化を理解し楽しむためにもある程度知識があるといいと思います。
なのでちゃんと新興宗教と切り分けて、警戒と受け入れることをできるようにすべきだと思います。過激派が国際的に脅威な昨今ですが、ムスリム全員が悪いわけではもちろんありませんよね。神道仏教にとどまらず様々な宗教の理解があると世の中を楽しく見ることができるんじゃないかと思います。

閑話休題2:日本人は無宗教?

日本人は自分を無宗教だと言いますが、実際の行動は全くそうではありません。むしろ多宗教です。 無宗教ならおみくじ、おまもりなんてただのオブジェ。ふんずけても何とも思わないはず。そうでないなら無宗教ではありません。(踏み絵を思いだした。文章上であれど僕は人に踏み絵をさせているのかというちょっとした罪悪感) この話はバンバン広がるのでまたいつか

(閑話休題ここまで)

僕はなんでも取り入れる日本人的宗教観の上に乗って、いい所を頂いちゃう日本人的宗教観の上位互換といったところでしょうか。おお けんとよ 節操無い。

宗教は利用するもの

宗教は自然現象や病や精神的なもやもやを、人智を超越した存在を使って説明し、自分たちを納得させ気持ちを落ち着かせてきた古来からの人間の知恵だと僕は考えています。

仏教で説明すると、仏さんと言えばはじめは仏陀ブッダ)しかいませんでした。仏陀を信じていたけど「死んだあとが怖くて今から不安。だって話聞いてても仏陀解決してくれないじゃん」と言う人が出てきました。それならと「死後に阿弥陀如来が極楽浄土へ連れてくから大丈夫!」と言って阿弥陀如来が誕生(人が考えて作った)しました。「死後極楽浄土行けたからって、今!NOW!体が痛くてヤバいんだって!」と言う人が出てきたので、「今病を治してくれる薬師如来(薬を持った医者の仏)ってのが助けてくれるよ」と現世利益のある薬師如来が誕生(人が考えて作った)しました。実際仏さんが助けてくれたかは分かりませんが、少しばかりか心は軽くなったんじゃないかと思います。

宗教や神様的存在は必要に応じて作られた、ツールだと僕は考えています。気持ちを落ち着かせたい時に神様を引っ張ってくるくらいでもいいんだと思います。楽しいからクリスマスやハロウィンを取り入れちゃう日本人こそ、おいしいとこどりな宗教観を持つのってありじゃないかと思います。

だいぶ雑な宗教解説なのでもしかしたら、これを読みながら目が三角な人もいるかもしれませんが、多くの宗教関係者の方は、「元から一般庶民のためのものなので理解してもらえるならこれくらいラフな説明も問題ない」と言ってくれると思っています。究極は「「なんまいだ~」って言ってさえすれば救われる。」ですからね。
人に迷惑かけない範囲なら自由でイイと思います。神様に迷惑かけても問題ないでしょう。だってパーフェクトな存在ですから。不完全に作ったのは神様だぞ!(この段落、Godとか仏とかの宗教観がぐっちゃぐちゃです。)

人を救う存在なのに人に苦行を強いるのは変です(←No more 新興宗教)。

もっとラフに神を「信じ/利用す」 ればいいと思います。

(※ 新旧約聖書の神と神道の神と仏を「神様」とまとめて言ったり区別したりぐちゃぐちゃですが、ここに関しては宗教の一般論ですのであまりそこを区別することに重きは置いていませんのであしからず)

編集後記

宗教学者ではなく、趣味の宗教興味ある人なので、勝手な解釈で話を書いちゃってます。あくまで個人的解釈なのですが、わりとデリケートな分野であるのも確かなので、表現が難しいなあと。

自分都合で神様を取り入れていいんだよってススメではあったんですが、そんなことを誰が求めているのかも書いてて分かんなくなってきました。(そもそもそんな読者はいないんですが。)

ということでだいぶ自分よがりな文という仕上がりでもいいのかなということで、なんだか後半は気持ち的にやっつけでしあげました。
色んな宗教を知るのは、世界の文化・美術・人の考えを学ぶことになって、人の考えも理解してあげられるようになって偏見もなくなる。すごくポジティブな効果が得られるから、我ながらいい趣味だなって思っています。歴史的にも相手に対する無理解が戦争の原因ですからね。戦争をなくすには相手を理解してあげる土台が必要だと思ってます。
色んな宗教文化を楽しむような趣味仲間が増えれば楽しいんですが、なかなかそうも行かずここで発露させるのが精いっぱい。←これをやるために僕は書いてたのかもしれませんね。いま書きながら自己確認しましたw

イスラム教徒の友達とか出来たらむっちゃ質問攻めするんだけどなー。